PDE10A 阻害薬
PDE10A 阻害薬というのは、細胞の中にあるPDE10A (Phosphodiesterase 10A: リン酸ジエステル加水分解酵素)という酵素を妨害する薬のことです。
PDE という酵素は人間の細胞の中に存在していて、細胞内での情報伝達に関与しています。そして、PDEという酵素には色々な種類があり、数字でPDE5 やPDE10 などと区別します(ちなみに、PDE5 の働きを邪魔するPDE5阻害薬はかの有名な “バイアグラ®”です)。

そして、この “PDE10A 阻害薬” というジャンルの薬は他に競合がいない、おいしい市場なのです!なので開発が成功すれば市場を独り占めできる可能性があります。
ここから、PDE10A 阻害薬がどうして魅力があるのか、そして他になぜ競合がいないのかについて解説します。
PDE10A 阻害薬がなぜ魅力的か
PDE10A 阻害薬(MK-8189) が魅力的な理由は、初代の統合失調症の治療薬(定型抗精神病薬)の余分な副作用と、次世代の治療薬(非定型抗精神病薬)の副作用の両方を理論的には起こしにくいからです。
実はこのPDE10A という酵素、脳の中でも存在している部位が非常に限られています。そして PDE10A が存在している脳の部位というのは、統合失調症の原因として一番疑われている “線条体 (Striatum) “という部分です。
一般的に、統合失調症の治療薬(定型抗精神病薬、非定型抗精神病薬の両方とも)が有効なのは 線条体の D2受容体を妨害するからだと言われています。
そして、不要な副作用(すくみ足や手指振戦などの錐体外路障害、陰性症状、高プロラクチン血症)が既存の統合失調症の治療薬で出現するのは、線条体以外の D2受容体に薬が作用してしまうからだとされています。
また、次の世代の抗精神病薬(非定型抗精神病薬)で副作用(体重増加や糖尿病、脂質異常症)がでるのは、様々な追加機能を加えたことが原因です。
ということは、統合失調症の原因として一番作用を利かせたい線条体にだけ作用することができれば、その他の副作用を抑えつつ効果を期待できると理論的に考えられます。
PDE10A 阻害薬を開発する、競合となる他の製薬会社がいない理由
では、なぜ他の製薬会社は魅力のある PDE10A 阻害薬 の開発を行っていないのでしょうか?
それは、既に失敗しているからです。
実は、Pfizer と 武田製薬が過去にこのPDE10A 阻害薬の研究をそれぞれ独自で行っており、臨床試験も行っています。
しかし、Pfizer の PDE10A 阻害薬候補だった PF-02545920 も、武田製薬の TAK-063 も、どちらも統合失調症に対する治療効果が認められず失敗に終わりました。
ということはMerck が開発中のMK-8189は “一般的な病気で治らない” という領域で問題となる、競合他社が多いという問題を既にクリアしていることを意味します。

ところで、統合失調症の症状に対して効果があるかどうかは、”PANSS スコア” というもので判定します。
PANSS スコア(Positive and Negative Syndrome Scale Score) は合計で30~210点で、数字が大きいほど統合失調症の症状が強いことを意味します。
なので、このPANSS スコアの数値が、プラセボ(治療介入していない群)と比較して下がっていれば、効果があると判定できます。
Pfizer と武田製薬の場合、このPANSS スコアで意味のある改善が認められず、開発自体が終了してしまったのです。
MK-8189 の治療効果はどうか?
では、Merck の MK-8189 の場合はどうでしょうか?
現在入手可能な臨床試験のデータを見る限り、なんとなく治療効果がありそうにも見えます。
これは統合失調症の患者を ①MK-8189のグループ、②リスペリドン(現存する治療薬)のグループ、③プラセボ(治療薬を投与しなかったグループ)の3つに分け、ランダム化二重盲検プラセボ対象試験を行った結果です。
MK-8189 は内服量を4mgから徐々に12mg まで増量し、リスペリドンは2mgから徐々に6mg まで増量しています。

この図をみると、MK-8189 は治療をしないよりも効果はありそうですが、現存する治療(リスペリドン)よりも効果が劣っていそうという結果がでます(ただしリスペリドンのグループは患者数がさらに少ないので、誤差が大きいと思われます)。
リスペリドンよりも効果が低いということ自体は大きなマイナスではないと思います。というのも、今回のMK-8189 の開発目的は “ほどほどの治療効果を期待しつつ、副作用を抑える” という点だったからです。
ただ注意が必要で、何も治療薬を使用していないプラセボのグループでも PANSS スコアが -10 と下がっており、信頼できるデータを出すためにはまた患者数もまだまだ足りません。
一つ言えることは、Pfizer や 武田製薬のケースでは治療効果が認められなかったのに対して、Merck の場合はかすかな希望が残っているという点です。
この希望が信頼できるものなのか、それともただの統計学上の誤差の範囲内なのかは、現在進行中の第2相臨床試験結果がでてみないと分かりません。
だからこそ Royalty Pharma の経営陣は、このMK-8189 に本格的に投資するにはさらなるデータが必要と判断しましたし、その先行きの不透明さから、Merck は Royalty Pharma と提携したと考えられます。
MK-8189 の副作用はどうか
このMK-8189 の開発で注目すべきは、副作用がどれほど出やすいかという点です。
これに関しても更なるデータが必要ではありますが、現段階で以下のデータがあります。

つまり、目的としていた体重抑制の効果は現行治療のリスペリドンよりも抑えることができそうという結果になっています。しかし、その分望ましくない副作用であるアカシジアやジストニア、眠気などの神経関係の副作用がMK-8189 で多そうな印象があります。
ただ、この望ましくない神経関係の副作用に関しては、別の研究結果ではそこまで顕著に表れないというデータも存在します(もしこれが統計学的に意味をなせば、MK-8189 にとっては良いニュースです)。
いずれにせよ、現段階では希望の光はあるものの、さらなるデータが必要でということに変わりはなさそうです。
MK-8189 の特徴のまとめ
では、改めてMK-8189 の特徴についてまとめてみます。
開発の目的としては
- 統合失調症の原因を究明したり、全ての統合失調症の患者さんに効く薬を開発している訳ではない
- 統合失調症の症状抑制という意味では、ほどほどに効果を得られれば良い
- 体重増加をきたさない、糖尿病患者でも使えるという、今までより使いやすい抗精神病薬を目指している
です。
そして、現在分かる範囲において、MK-8189 というのは
- 統合失調症の治療薬としてある程度の効果は期待できそう
- 既存の治療薬の望ましくない副作用である体重増加を起こしにくい可能性がある
- しかし、望まない副作用である神経系の副作用が従来の治療薬より出る可能性がある
という可能性が示唆されています。
そしてビジネスという観点からすると、
- 既に他の競合製薬会社は開発に失敗している
- 競合がおらず患者数も多いため、開発に成功すると莫大な利益につながる
ということがいえそうです。
次のページで私個人の見解を述べます。